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非配偶者間人工授精の現状に関する調査研究会(DI研究会)

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AIDで生まれた方たちからのメッセージ
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too からのメッセージ

 AIDと言う不妊治療を聞いたことのある人は少ないのではないでしょうか。不妊症でも男性側の要因で、つまり無精子症など、どうしても治療できない場合に、匿名の第三者から提供された精子を女性の子宮内に入れ妊娠させる治療です。女性側には普通、問題がないので受精した卵は順調に成長し出産されます。母親のお腹から生まれた子供はその母親と父親の子供であると誰も疑問を持ちません。戸籍上も両親の嫡子として記載され、他人の精子から生まれた子どもだとは全く分かりません。両親も治療した医師も、この治療については何もしゃべりません。精子の提供者は匿名のアルバイトで募集されているそうです。生まれてきた子どもだけが何も知らずに育っていきます。こうして生まれた子どもは日本で通算10,000人と言われています。

 私はこのAIDで生まれた子供として、とても不利益だと思うことが2つあります。
 一つめは遺伝上の父親が分からないこと。二つめは両親から事実を隠され続けてきたことです。

 遺伝上の父親を知りたいと思う気持ちはごく自然なものです。男性にとって、父親とは人生の目標であり、自分の将来像であり、また時として反面教師でもあります。一緒に生活してきた父の性格や行動や、人間関係を見て、私は「自分」のアイデンティティを形成してきました。家庭環境だけでなく、遺伝的素質も私にとっては重要なことなのです。自分のルーツを知らないこと、これは自分が社会に向き合うのに際して大きなハンディキャップです。

 提供精子から生まれた子供であると両親から何らかの機会に知らされたと言う人、私のように遺伝子検査で偶然に分かる人がいます。知らされた理由は何であれ、突然のことで困惑します。どうして数十年も一緒に住んでいながら両親はずっと黙っていたのか理解できませんでした。自分はずっと偽の親子関係に騙されていたのではないか。それに気づかなかった自分はなんて愚かだったのか。なぜ両親はそんな大切なことを教えてくれなかったかのでしょうか?AIDを受けたカップルの90%以上は子供には事実を伝えないと考えているそうです。しかし、隠し続ければ隠し続けるほど、両親にとっても生まれてきた子供にとってもつらいのではないでしょうか。

 私はAIDを含め、第三者の精子・卵子提供による生殖補助医療を否定する気はありません。それによってしか治せない不妊があるからです。血のつながらない父親には普通の家庭以上に熱心に育てられたと思っていますし、私がこの世に存在させてくれた医師にも感謝しなければなりません。しかし、私には遺伝上の父親が分からない、両親に隠されてきた、と言うわだかまりがあります。なぜでしょうか?すべてを秘密のうちに行ってきたことがわだかまりを生んだのではないでしょうか。私の起源をそこまで秘密にしないで欲しいと思います。私の家では父親と私はお互いに血が繋がっていないことを知っていますが、今でも以前と変わらず一緒に暮らしています。血が繋がっていないから親子でないと言うようなことはないと思います。要は育て方の問題であって、ちゃんと育てられた子供が育ての親との親子関係に疑問を持つことはないと思います。生殖補助医療で生まれた子供にも出自を知る権利を認め、両親はちゃんと説明する義務があるのではないでしょうか。

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ハル からのメッセージ

 私は23歳のとき、はじめて自分がAID児であることを知りました。きっかけは育ての父の遺伝性疾患でした。彼の病気が高い確率で子どもへも遺伝するということを知り、もしかしたら自分もそのうち発病するのではないかと悩み続けているとき、はじめて母から自分の出生を聞かされました。
 
 当時の気持ちはAIDという未知の事柄に対する不安と、誰にも相談できないつらさ、それまで当然と思っていたことが突然崩れ去ってしまったショック。とにかく23年間もずっと隠されていたということが寂しくもあり、悲しくもありました。今までの自分の人生がすべてウソの上に成り立っていたもののように感じてしまいました。

 私と父の父子関係は、正直まったくうまくいっていませんでした。実の子ではないから私と彼の関係はうまくいかなかったのだ、と考えた時期もありましたが今はあまりそうは思いません。血が繋がっている、繋がっていないということはそれほど大きな問題ではないように思います。父子関係、家族関係の問題はAID家族であろうがそうでない家族であろうが、それなりに起こるものだと思います。しかし前者の場合、AIDという要因がからむ分より複雑であるため、その部分をサポートする何かシステムなり人なりがいてくれたらよかったのに、今では強くそう思います。

 また告知に関しても、子どものために言わない、言ってしまうと子どもが離れていってしまうのでは、と考える人が多いようですが、それを知ってしまったときの子どもの気持ちを考えてください。黙っていた期間が長ければ長いほど、そのショックは大きくなると思います。それならば一生隠せばいいのか、それもまた違うと思います。秘密やタブーの存在する家にはやはり何かしらの緊張感と居心地の悪さが生まれます。秘密を持ち続ける親たちもきっとつらいでしょう。せっかく望んで手に入れた家族なのだからもっとオープンで隠しごとのないものになっていってほしい。

 また親と提供者は別ものだと思います。そして私は提供者に会いたいと思っています。彼がどんな顔で、どんな趣味を持っていて、どんな考えの持ち主なのか、そして自分の中のどの部分が彼からの由来のものなのかを確かめてみたい。自分の遺伝的由来がどこからきたのかということは誰もが知っていることであり、AID児がそれを知りたいと思うことは当然のことだと思います。子どもは知るべきではない、知らせる必要はないというような意見も多いようですが、もし自分がAID児の立場だったなら、と一度は考えてみてほしいものです。

ハルのホームページ http://aid1.fc2web.com/

 


匿名の方からのメッセージ

 私は53歳の主婦です。
 幼少の頃より、父母や親戚の話の端々から、自分の出自に秘密があると感じて過ごしてまいりました。
 ある時期から、慶應大学病院で試みられた非配偶者間人工授精ではないかと考え始め、現在は私自身確信するに近く至っています。
 しかし、理由があって、老父母には単刀直入に問い質すことも出来ずに悩んでおります。
 今迄に夫・子・義母の他、誰にも打ち明けておりません。
 40歳〜50歳代の方で私と同様の境遇の方とお話ししたいと心から思っております。

※当事者の方で、この方とのご連絡を希望される方はDI研究会までご連絡ください。
  申し訳ありませんが、双方に信頼関係ができるまで、DI研究会が連絡担当をいたします。
  なお、取材等でのご連絡はご本人の希望でお断りいたしております。

  連絡先メールアドレス: snaga@econ.keio.ac.jp



あや からのメッセージ

私がAIDで生まれたことを知ったのは、32歳の時でした。ずっと別居中の両親が離婚した時です。私自身は結婚もしていましたし、子供もいました。知った時のショックというものは、あまり感じませんでした。父親だと思って生きてきた「戸籍上の父」と良い関係ではなかったので、血が繋がっていないことに逆にほっとしたからです。また、良い関係ではなかったことは、血が繋がっていないことが原因ではないと思っています。両親二人で生活していた10年間は、幸せだったと聞いています。子供が欲しいと願い、生まれた時は二人で涙を流して喜んだそうです。戸籍上の父にとっては、赤ちゃんのいる生活になり、妻が自分よりも子供にかかりきりになってしまったことが、寂しかったようです。これは、AIDの家庭でなくても、ありうることのようです。

 自分のルーツに対する不安を感じたり、生まれてきたことへの自信が揺らいできたのは、母が亡くなってからです。欲しくて欲しくて産んだ子供を、どんなことがあろうと後悔することなく愛してくれた母。潔く、まっすぐで、芯の強い人でした。(母のために生まれてきた。母ほど愛してくれる人はいない。孤独だ。消えてしまいたい。)と思う迷路にはまってしまいました。母が亡くなってから3年ほど、夫も子供も私の心のよりどころには、なりませんでした。そんな時想うのは、遺伝上の父親のことでした。(どんな人なのかな。趣味は…仕事は…幸せに暮らしているといいな。元気かな。暖かい家庭をもっているだろうか。寂しくないといいな。何歳だろう…。)と、想いを巡らしました。

 もし、AIDに協力したことを覚えているなら、「ありがとうございます。」と言いたいです。悩む日もあるけれど、「私は元気で幸せに暮らしています。」と伝えたいと思います。

 昨年、新聞で、AIDの仲間がいることを知って、涙が出ました。私と同じように、孤独な気持ちを抱えた仲間がいると思いました。自分のルーツを知りたいと思う気持ちを、やっと肯定してもらえた気持ちになりました。遺伝上の父親を知りたい気持ちを、許してもらえる場所を見つけた気がしました。今はまだ、AIDを選んだ夫婦、AIDで生まれた子供、そして協力した方をフォローする態勢が整っていません。これからは、関わる人々が出会う問題について、勉強したり、考えたり、助け合える場所が欲しいと思っています。


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