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1. はじめに
厚生科学審議会の生殖補助医療部会は2003年4月に「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/04/s0428-5.html)をまとめました。これは、不妊治療として行なわれている人工授精や体外受精に、第三者から提供された精子や卵子を用いる技術を国内で認めるのか、認めるならどんな制度が必要かを審議した結果の報告書です。
この要点は、次のようになります。
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「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」の要点
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[1] 「代理懐胎」は禁止する。
[2] 法律上の夫婦が自分たちの精子と卵子では子どもができない場合に限って、提供された精子による人工授精、提供された精子や卵子、または胚による体外受精を利用できる。ただし、加齢により妊娠できない夫婦は対象とならない。
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〔実施条件〕
a 提供に係わる実費相当と医療費以外の対価の授受を禁止する
b 提供は匿名とするが兄弟姉妹等からの提供については今後検討する
c 生まれた子が15歳以上になった際に出自を知る権利を認め、また、結婚前に近親婚にならないための確認ができる
〔システム〕
a 個人情報管理等に係わる公的管理運営機関(注1)を設ける
b 実施医療施設は行政によって指定する
c 重大な違反については罰則をともなう法律によって規制する
d インフォームドコンセントとカウンセリングの制度を充実させる
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厚生労働省はこの報告書をもとにして、法律案を来年の国会に提出する予定だということです。それに伴って、親子関係についての法律を改訂する検討が法制審議会で行なわれています。
2. AIDをめぐる日本社会の状況
1) 産科婦人科学会の対応
日本ではAID(提供精子による人工授精)は慶應義塾大学の産婦人科学教室が1948年より実施し、他の医療機関にも拡がりましたが、その実態は明らかにはされてきませんでした。以来、生まれた子どもは1万人とも2万人ともいわれています。しかし、直接的に親子関係を問う訴訟は生じなかったため、AIDに関する法律は準備されず、学会による規制も1997年までありませんでした。(注2)
1997年に日本産科婦人科学会は、AID実施施設は学会に登録し、実施件数や出生数を報告することを定めました。 ⇒日本のAID事情
2) 法的親子関係
AIDが応用された当初から問題とされてきたのは、法的な父子関係です。
当時の慶應義塾大学法学部の小池隆一教授は、産婦人科教室の安藤画一教授の依頼によって人工授精の法律問題を研究するようになったと述べています。小池教授によると、日本よりもAIDを先に実施していた欧米の法律家も、当初はAIDで生まれた子どもを,
出産した女性の夫の嫡出子とすることに否定的でしたが、次第に、夫の同意がある場合にはAIDで生まれた子どもを嫡出とみなすという法的な解釈がされるようになってきたということです。小池教授自身も,
日本の民法では分娩した女性が母親と解釈され、また、 父子関係は「妻が婚姻中に懐胎した子はその夫の子と推定される」(民法772条1項)とされていることを根拠として、AIDによって生まれた子も嫡出推定を受け得るとする方が子どもの福祉にとって良いと結論づけています(小池,1960)。
その後、数十年間にわたりAIDで生まれた子どもをめぐる法的問題は表面化してきませんでした。ところが、1998年にAIDをめぐる2件の裁判の判決が出されました(注3)。
ひとつは、夫婦が離婚に際してAIDで生まれた子どもの親権を争った裁判です。夫は無精子症と診断されたため、妻がAIDによって子どもを産むことに承諾しました。生まれた子どもは父母の別居までは一緒に暮らし、別居後は平日は父親宅、週末は母親宅で過ごしていました。一審では、子どもが平日は父親宅で過ごしていることなどを理由として、父親に親権を認めました。それに対して母親が抗告し、その判決では、母親に親権を認めました。(本山,1999) その要旨は以下のようになります。1)AIDは夫婦の合意の上で行われ、子どもは夫の嫡出子と推定されていることから、夫は離婚後にも子どもの親権者となることができる。しかし、2)今回は子どもが幼く、母親側に子どもの養育態勢が整っていることから母親に親権を認めるのが妥当である。ただし、3)AIDで生まれた子の親権を離婚時に父親にわたすことについては「自然的血縁関係」のない「子の福祉に何らかの影響を与えることがありうると考えられる」ことを考慮する必要がある。
もうひとつの裁判は、夫の同意を得ずに妻がAIDによって出産した子どもに対して、夫が嫡出否認を訴え、それが認められたものです。不妊治療としてAIH(配偶者間人工授精)を何度か試みても子どもができなかったため、妻が夫以外の男性の精子の提供を受けて医療機関に持っていき、人工授精を受けて妊娠・出産した。夫は最初は生まれた子どもを自分の子どもと思い出生届けを出したが、後に疑問を抱いて嫡出否認を訴えたというものです。判決では、夫の同意のないAIDによって出産した子どもは夫の嫡出子にはならないとされました。
これらのことから、AIDで生まれた子どもの法的地位の不安定さが問題となり、法整備の必要性が認識されてきました。(注4)
加えて、1998年に開業産婦人科医が、1996年に姉妹間での卵子提供による体外受精を実施し、出産していたことを公表しました。この結果、彼は会告を破ったとして日本産科婦人科学会から除名されました。(現在は和解)。この医師は、2001年にも姉妹間での代理出産の事例を公表し、さらに2003年にも義理の姉妹間での代理出産も公表し、法律で代理出産を禁止しようとする動きに反対しています。
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3) 生まれてきた子がその出自を知る権利
生殖補助医療部会に先行した生殖補助医療技術に関する専門委員会は、匿名の提供者からの精子・卵子・胚の提供を認め、生まれた子供が「出自を知る権利」については、提供者を特定できないような情報に限るという判断を示しました。ただし、特例として兄弟姉妹等からの提供への可能性を残しました(厚生科学審議会先端医療技術評価部会生殖補助医療技術に関する専門委員会,2003)。
その根拠として言及されてきたのが、スウェーデンが1985年からAIDによって生まれた子供の「出自を知る権利」を認めてから精子提供者数が減ったこと、またAIDで子供をもった両親の多くはその事実を子供に伝えておらず、将来的にも伝えたくないとしていることなどが紹介されました。そのため、法整備に向けても、精子や卵子・胚の提供に関しては原則匿名という方針で議論が進むように思われていました。
2002年5月にNHKは『「親」を知りたい ?生殖医療・子どもからの問いかけ?』は、北米やオーストラリアなどにおいてAIDで生まれた子供たちが精子提供者である生物学的な親を探し歩くドキュメンタリーを放映しました。これだけが要因ではないでしょうが、この番組は生殖補助医療部会の委員に大きな影響を与えたようです。その結果、生殖補助医療部会報告は、子供が15歳以上になって希望すれば、精子・卵子・胚提供者を特定できる情報まで開示するという方針を打ち出しました。さらに、子供が「出自を知る権利」を提供者が特定できる情報を開示することにまで拡げました。専門委員会報告から大きく方針変更がされました。
提供者が特定できる情報を生まれた子どもに開示するためには、従来の不妊治療医療システムの大幅な見直しが必要となります。特に、精子や卵子の提供者の情報登録や、生まれた子どもの情報登録が必要です。カウンセリングも生まれた子どもの立場の人だけではなく、親の立場、そして提供者の立場を十分に理解できるようなカウンセラーの養成も必要です。でも、具体的な方策は報告書には詳しくは記載されていません。
私は1993年にオーストラリアのメルボルンにおいて、生殖補助医療セミナーの講師として招かれた男性が、自分はAIDで生まれたことを19歳のときに知り、以来10年以上も生物学的な父親を探してきたが見つからなかったこと、そのために同じ境遇にある人たちとグループを作って活動をはじめたという話を聴き、日本との状況の違いに驚きました。10年経ったいま、日本でも「出自を知る権利」が社会的に認知されてきたことに、社会の変化を感じています。
⇒AIDで生まれた方たちからのメッセージ
4) AIDで子どもをもった親の立場から
スウェーデンでは1985年にAIDで生まれた子供に「出自を知る権利」を認め、精子提供者の記録を保存することが法律によって定められました。しかし、スウェーデンにおいて行なわれたAIDで子どもをもった親への調査結果からは、質問紙に回答した132組のうち89パーセントにあたる親が子どもにAIDで生まれたことを伝えていないと答えたということです(Gottlieb,
et al. 2000:2052-2053)。
日本でも、慶應義塾大学医学部産婦人科学教室による調査、またこの研究会メンバーの清水による調査でも、AIDで子どもをもった親や医療者は、子どもにその出生の事実を知らせること、精子提供者の情報を開示できるようにすることについては消極的なようです。
⇒日本のAID事情
しかし、今回、オーストラリアで私たちが調査した結果からは、ヴィクトリア州では1995年から子どもの出自を知る権利を認めて綿密な情報登録・管理システムを設けていること、AIDで生まれた子どもたちの気持ちや抱えている困難がマスコミなどで報道されることによって、子どもに事実を伝えること、子どもが提供者を探すことについての親の意識が変わってきたことを感じました。
⇒オーストラリア調査報告:AIDをめぐる法と制度
ただし同じオーストラリアでも法整備がこれからの州では、親は秘密を隠し通すことが子どものためであり家族の幸せのためだと考えている人たちがいます。これに対して、ヴィクトリア州のように生まれた子どもが将来精子や卵子提供者を知ることができる制度やカウンセリング制度を整えることを望んでいる親たちにも会いました。
私たちはさまざまな立場からの現状をしっかりと踏まえた上で、将来を見据えた制度を考えていく必要性をあらためて認識しました。
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3. 実施までに何を準備しなければならないのか
まずAIDなどによって生まれてきた子どもたちが何を感じ、何を親や医療や社会にもとめるのかを知る必要があります。
また、養子をめぐる状況について知ることはAIDに関する制度を考える上で参考になるでしょう。日本では養子縁組件数が非常に少なくなっており、特別養子縁組の件数は年間1000件に達していません。しかし、特別養子縁組で親となる選択をするご夫婦には不妊を経験した方々の割合が高くなっています。両親のいずれか、または双方が以前のパートナーとの間にできた子供を連れて再婚するいわゆるステップファミリーも一般の「血縁関係のある親子」からは、はずれた存在です。養子縁組家族、ステップファミリーは、1)遺伝的な関係のないところに親子関係を築く、2)一人の父親、一人の母親ではなく、複数の父親・母親をもつ子供が存在することを特徴としています(注5)。それは生殖補助医療によって生じる新しい親子関係を考える際に重要な情報や考えをもたらしてくれるでしょう。
子どもが出自を知る権利以外にもAIDなどの医療技術に関する課題はまだまだ多くあります。通常の不妊治療においてもインフォームドコンセントの不十分さが指摘されることが少なくない上に、カウンセリング制度を導入・充実させることも容易ではありません。不妊カウンセラーの養成の必要性だけではなく、医師―患者関係の改善にさらに医師とカウンセラーとの関係についても考えなければなりません。さらに本稿では言及できなかった提供者の法的・社会的位置や心理的状況についても考えなければならないでしょう。
今後、この研究会も地道に研究成果を蓄積し、それが少しでも法整備・医療システムさらには当事者の活動などの参考になっていければと願っています。 |
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注
- 公的管理運営機関は「同意書の保存」「(開示に備える)個人情報の保存」「統計の作成」「胚提供に係わる審査」などを実施する。イギリスのHFEAをモデルにしている。
- 日本産婦人科学会が非配偶者間人工授精に関する見解を公表したのは、日本で実施されはじめて50年近く経た1997年(1996年理事会承認)であった。
- 家庭裁判月報第51巻3号(平成11年3月)165-185頁と同第51巻9号(平成11年9月)51-77頁を参照。
- 生殖補助医療技術に関する法整備の必要性が認識された契機は、これらの判決の前にあったインタネット上で商業的精子バンクが営業を始めたことであった。
- 特別養子縁組においては出生にかかわった生物学的親との親子関係を家庭裁判所の介入によって「実親子」関係を切断し、養育する親との間に新たな親子関係を結ぶ。そのために戸籍上は父母がそれぞれひとりとなる。
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引用文献
- 安藤画一,1960,「人工授精の實施状態」,小池・田中・人見共編『人工授精の諸問題-その實態と法的側面』,慶應義塾大学法學研究会,9-24.
- Gottlieb, C., Lalos, O. and Lindblad,
F., 2000 Disclosure of Donor Insemination
to the Child: The Impact of Swedish
Legislation on Couples' Attitudes,
Human Reproduction,15(9) :2052-2056.
- 小池隆一,1960,「人工授精の法的側面」,小池・田中・人見共編『人工授精の諸問題-その實態と法的側面』,慶應義塾大学法學研究会,27-47.
- 厚生科学審議会先端医療技術評価部会生殖補助医療技術に関する専門委員会,2003,「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療のあり方についての見解」。
- 厚生科学審議会生殖補助医療部会,2003,「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」 http://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/04/s0428-5.html。
- 本山敦 1999 「非配偶者間人工授精子(AID子)と嫡出推定」『ジュリスト』
No.1164, 136-139.
日本産科婦人科学会,1997,「非配偶者間人工授精と精子提供」に関する見解(平成9年5月),http://www.jsog.or.jp/kaiin/html/H9_5.html。
- Noble, Elizabeth, 1987,Having Your
Baby by Donor Insemination: A Complete
Resource Guide, Houghton Mifflin Company,
Boston.
- 柘植あづみ,2003,「『生殖補助医療』に関する議論から見る『日本』」,『新生殖技術に関する社会・文化的対応の国際比較』,平成12年度〜14年度科学研究費補助金(基盤研究(A)(1))研究成果報告書,研究代表者上杉富之,59-67.
- 柘植あづみ 2003 「精子・卵子・胚提供による生殖補助技術と家族」 『家族社会学研究』 Vol.15,
No.1, 48-54.
(文責 柘植あづみ)
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